善光寺参拝記

  • 2013.01.31 Thursday
  • 13:45

善光寺参拝

 

今月、うちのヨメが善光寺様へ参拝に行ってきました。
時々1月には善光寺様へお参りに行っていますが、今回は3年ぶり4回目だそうです。
<牛に引かれて善光寺> 昔、信濃の国の里に欲深い老婆がいました。ある日、軒下に干した布を、牛が角に引っかけて走り去ってしまいました。女はたいそう腹を立て、怒りながらその牛を追いかけました。 ところがなかなか追いつかず、そうする内に、とうとう善光寺の金堂前まで来てしまいました。日は沈み牛はかき消すように見えなくなりました。その時突然に、善光寺の仏さまの光明が、さながら昼のように老婆を照らしました。ふと、足下に垂れていた牛のよだれを見ると、まるで文字のように見えます。
うしとのみ おもひはなちそ この道に  なれをみちびく おのが心を
 (牛とのみ 思いすごすな、仏の道にお前を導くわたし(仏)の心を)(人生は疎ましいばかりと思う心が、汝をますます暗い人生に追い込む、と言う意味)と書いてありました。
 女はたちまち菩提の心(仏様を信じて覚りを求める心)を起こし、その夜一晩善光寺如来様の前で念仏を称えながら夜を明かしました。そして、近くの観音堂にお参りしたところ、あの布が観音様の足下にあるではないですか。こうなれば、牛に見えたものは、この観音菩薩様の化身であったのだと気づきます。わたしたちは、これを世に「牛に引かれて善光寺」と語り継いでいるのです。
 善光寺は古来より女性の信仰の対象でありました。信心のない女性にも、如来様はお慈悲をかけ、導いてくださるということを説いています。全ての衆生を救済し、極楽浄土へ導きたいというのが、阿弥陀如来さまのご誓願です。ご誓願とは、阿弥陀様が私たちをなんとしてでも救う!と誓いを立てられたということです。しかし、それもまた、そう信じれる心か、目に見えないことなど信じられるものかと思う心かで、人生は変わってくるということの教えかもしれません。素直に何事も良いようにとれるようになれば、人を恨まず、感謝ができ、こころ穏やかな人生になれるとの戒めなのでしょう。
 ヨメはといいますと、戒壇めぐりや元善光寺、北向き観音、諏訪大社という、いつものコースを巡り、善光寺の大本願でおかみそりをうけ、法名をいただいてきました。自分の戒名に1字でも入れるとよいそうです。今度行ったら、私のお名前ももらってくるそうですが、さて、どのような字をいただけるのでしょう。楽しみでもあります。   つづく

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