鯖大師参拝記?−お大師さまと鯖大師

  • 2010.12.24 Friday
  • 13:45

さて、前回の続きで布施行の大切さを説いたお話です。


欲張りなこころを持って、罰があたったかも知れんと怖くなった馬子は、「わるうございました。お許し下さい。」と心からわびました。「人間の欲は果てがない。その欲をひきしめなければならんのじゃ。馬の手づなをひくようにな。」とお大師さまは言われました。そして馬子はその場でお大師さまのお弟子になりました。
その後、「行基菩薩様のお手植えの松は聖地である。これからもこの聖地を仏のお慈悲を求める遍路の人たちが、永遠に絶えることなく、とおるであろう。そこに庵を建て行基菩薩様をおまつりせよ」との言葉どおり、馬子は行基菩薩様をまつる庵を建てました。その行基庵が現在の四国別格霊場第4番鯖大師本坊になったという伝説が残されています。


虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きん

 

これはお大師様の誓願です。「自分の身はこの世で滅んでも、この世に大衆のある限り、自分の魂は永遠に大衆の悩みを救うぞ。」そして「自分の遺跡を訪ねて自分の名前を呼んでくれれば、ただちにあなたを救ってあげよう」と約束されています。

 

ウチのヨメはこの言葉にある弘法大師様のこころを想うと泣けてくるといいます。思想、宗派にかかわりなく、「衆生を救う」という信念を貫く強さの中に、人を愛する優しい人間性に惹かれるのでしょう。このように広く大きいお大師様のお人柄を慕い、皆が八十八ヵ所参りをするのでしょうか。心に重荷を抱えた人、病に苦しむ人、亡き親族の供養の人、それぞれに思いはあるのでしょうが、お大師様は皆の心の内をよくご存じだとヨメは言います。そして、ひとりひとりを目に見えぬ形や心で救おうとされる。私たち凡夫は、目に見えることがすべてだと思っているので、仏のこころに気づかないだけとも言います。私は不信心者ですが、最近では“ほとけ”というものを信じ、先祖を愛し、手を合わせることのできるヨメは、かなりの幸せ者だと思うようになりました。

ただ、時々あげるご詠歌を聞いていると、得意の演歌のようでもあり、仏壇でこぶしのきいたご詠歌を聞かされるウチの先祖は、「普通に拝めんのかい?」と言っているのか、はたまた「ええ調子やな〜」と一緒にうなっているのか、一度聞いてみたいと思います。

 

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