秋のお彼岸法要

  • 2010.09.28 Tuesday
  • 15:21

 

秋のお彼岸法要
  ≪四天王寺≫ 日想観(じっそうかん)法要

四天王寺様では、春と秋の彼岸の中日に「日想観(じっそうかん)法要」が執り行われ、参詣者らが境内の真西に沈む夕日に向かい静かに手を合わせます。
「日想観」と言いますのは、四天王寺の西門は極楽浄土の東門と向かい合っている、という信仰から来たものです。そのために人々は西門付近に集まって、沈む夕日をここから拝んだのです。まず夕日をじっと眺めて、目を閉じてもその像が消えないようにして、その夕日の沈む彼方の弥陀の浄土を思い浮かべます。だから太陽が真西に沈む彼岸の中日が一番良いとされていました。
 

その歴史は古く、鎌倉末期に描かれた「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」には、その当時の四天王寺の風景が描かれています。それを見ると、西門は今は石造りになっていますが、当時は赤く塗られた木の鳥居であり、鳥居の横には掘っ立て小屋があって、そこには施しをする大勢の人々の姿があります。また車輪をつけた背の低い車と小屋がいくつも並んでいます。

この頃から四天王寺には、施し・救いを求めて多くの弱者や病人が集まっていたものと思われます。天王寺・あるいは熊野は、そのように病魔に冒された人たちが最後にすがる聖地でもありました。

 

四天王寺の森田執事長のお話によりますと、日想観は、弘法大師・空海様が同寺で真西に沈む夕日を見て、西方に極楽浄土を見いだす修行を始めたことに由来するそうです。創建当時、門前までが海で、その中に沈んでいく夕日を見ることができ、その美しいさまをご覧になった弘法大師様が、ご先祖がいかれる極楽浄土は日の沈んだ向こう側、つまり現世のこちらの岸に対する彼(か)の岸「彼岸」にあると説かれました。

そこから春分・秋分の日の前後3日間を加えた7日間がご先祖をまつる行事「彼岸」となったと言われています。 

「極楽浄土は黙っていても行けるところではない。精一杯生きてこそ行くことができる。」という執事長のお話に、私も改めて“今”を一生懸命生きるということを考えさせられた大切なお彼岸でした。

コメント
コメントする

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< October 2019 >>

ヨメの本棚

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered by

無料ブログ作成サービス JUGEM